日本の近世思想
1 近世社会の特質 世俗的な秩序化 宗教
世俗の秩序化の進展
→宗教が世俗の生活によって意義づけられる
宗教
地上の権力や権威に相対化させる契機
↑徹底的に壊滅=近世の統一
信長、秀吉、家康の自己神格化
宗教政策
寺請制・檀家制による巧妙な統制政策
葬祭・祖先祭祀を中心とするイエの宗教的秩序の管理を期待する民衆
民衆の期待に応える寺院
→宗教的エネルギーを摘み取る(のちの民俗や風習へ)
イエの平安のための加持祈祷
信心の確認と物見遊山のため神社の参拝
世俗的な秩序化 イエ
イエはいつから確立した?
先進地域(畿内)では中世の後期から、後進地域では近世の中頃
身分秩序にもかかわらず、人々の生活は同じようにイエ単位で営まれる
芸能の世界でも擬制的なイエ制度(家元制)が確立
イエの特徴とは?
家職・家業や家産・家名などの維持と発展を目的とする経営体
独特の養子制と隠居制
=優れた後継者を養子として迎える+衰えた家長は隠居として退く
※中国や朝鮮の「家」=男系の血縁集団
イエの背景とは?
近世の思想(身分ごとに展開する思想)
中世以来の武士
- 同輩に後れをとらない覚悟、同輩から軽蔑されない強みという精神的伝統
- 自らの軽挙妄動によってイエを滅ぼしてはならない
町人
- 代々の暖簾を守る
百姓
- 先祖伝来の田畑を守る
世俗的な秩序化 商品・市場・民族意識
書物の流通
京都、大阪で盛んになり、江戸でも
学問や思想の社会形態を一変
口伝、家伝という閉そく性の打破
知識の公開性・公共性が高まる
実用的な学問への需要が高まる
市場の確立
安全な交通秩序の維持(参勤交代)
人・物・情報の移動が活発に
→ネットワークが飛躍的に発展
地方の豪族や医師などの知識人の文化的な実力が高まる
知識人は身分的に分散して多様
例:本居宣長
木綿問屋の生まれで名古屋を介して東海道の情報ネットワークに組み込まれた地方都市の医者
※中国や朝鮮の知識人
科挙官僚(読書人)に限定
科挙社会の世界観
古典の詩文を自在にあやつれる=えらい
民族意識の形成
全国市場の確立
厳しい身分秩序のなかでも士農工商はそれぞれの仕方でお互いに社会を支えているという社会観
教育の普及と識字率
満州族の支配に甘んじる中国
→近代の国民国家の構築を潤滑に
2 近世思想の骨格
近世思想のキーワード 「理」
思想のダイナミズムの主軸
朱子学=体制の根幹
中国
究極根源の一理として天地宇宙を統べるもの
人間・社会・自然の万事万物に普く内在するあるべき道理・理法
日本
修身(自己の完成)と治世(政治の安定)を実現させる新しい思想として歓迎される
人間としての生き方に直接響いてくるような思索が好まれる
人倫
倫理的な規範としての「理」
あるべき秩序 例:君臣の理、父子の理
朱子学の「理」の硬直性・観念性への批判が本格化
儒教そのものの「理」の過剰を公然と批判
緩やかな「理」(物事のあるべき法則、筋道)の思想
人間の知的な営みによって明らかにしていくという感覚
和漢にわたる実証的・考証的な学問
病理や薬理を明らかにする蘭方・漢方それぞれの医学
外れてならない人としての道
心の理の探究
禅仏教(近世の前期)
人間の自己中心性の克服を目指す
↓
その課題を唯心論的に追い込み、世俗世界(人倫)の意義付けや秩序の改善を考慮しない
↓
「理」の思想
世俗生活(人倫の中の生)を正しく意義付けることで自己中心性(私欲)の克服への道
↓
禅を乗り越える
禅への対抗という要素は後退(近世後期)
→職業を中心により具体的な世俗生活の場面に即した人としてのあり方の探究
人倫としての「理」が、一般論ではなく、自分にとってどうなのか?
教育の爆発的な普及
→庶民の間にも「理」に支えられた自己形成への要求が強まる
あるべき自己(規範)と現在の自己の距離を埋めようとする努力が一般化
=自己自身の秩序化
→幕末維新期の民間での政治的な動向、民衆宗教(黒住教・天理教・金光教)の成立と拡大
西欧文明との出会い
18世紀末:西欧の軍事的脅威
「理」の思想の西欧文明への対応
①「理」の基本は倫理道徳としての「理」である
西欧は君臣・父子のモラルを欠いた人倫外の功利的な社会だ
西欧との交渉は必要ないし、場合によっては打ち払うべき
②技術の「理」は学ぶが、精神の「理」は拒絶する
和魂洋才
③西欧の政治経済の学問や社会制度の「理」(さらには倫理道徳)も大胆に学ぶべき
②が主導権を握る
近代化の準備期間としての近世
西欧の軍事的脅威に対する敏感な反応
指導者層が武士
単なる武人ではなく、「理」の思想の蓄積の中で自己確立する訓練を経て、修身と治国を自己の責任で果たすべきだという理念を疑わなかった
※東アジア:「武」に対する「文」の支配(科挙官僚の支配)
浅見絅斎
『靖献遺言』
中国の忠臣義士の行動について記した書物
正統の王朝に忠義を尽くし、敵対者には徹底的に抵抗した人物たち
忠義の対象は正統性の有無だけで決まり、自分の利害はもちろん、その反抗が世の中のためになるかどうかも全く考慮しない
・屈原
・諸葛孔明
・陶潜
・顔真卿
・文天祥
・謝枋得
・劉因
湯武放伐論の否定
革命を絶対的に否定
人民は決して君主(日本の場合は天皇)に反抗してはいけない
日本において正統性のある唯一の存在は天皇
天皇=絶対的座標軸
↑「絶対」という思想が日本で初めて成立
個人規範の徹底
日本人的予定調和説
個人が規範的に絶対正しいことをやれば、社会全体がうまくいく
組織論が欠落
→組織論を欠いた儒教という奇妙な思想
〔参考文献〕
小室直樹『歴史に見る日本の行く末』
山崎闇斎
崎門学の創始者
闇斎の提唱した朱子学を、崎門学または闇斎学という。
湯武放伐を否定
『湯武革命論』
殷の湯王は夏の傑王を放ち、周の武王は殷の紂王を伐ったことは是か非か?
※中国の儒家も結論を出せなかった
明確に否定する
臣下が主君を殺すこと(乱臣)は、根本原理の蹂躙でありあってはならない
↑革命的大回転=日本学問の独立宣言
経典を批判することはタブー
「劉邦は秦の民であったし李淵は隋の臣であったのだからこれが天下を取ったのは反逆である。それは殷でも周でも他の王朝でも同じことで、創業の英主といわれていても皆道義に反しており、中国歴代の創業の君主で道義にかなっているのは後漢の光武帝ただ一人である」
実践を重視
崎門学の本質
行動によって伝統主義(Traditionalism)の迷妄を打破する
仏教批判
「仏教は人倫、すなわち君臣父子夫婦の関係を無視し、その間の道徳を否定している」
※海外の仏教には当てはまるが、日本仏教には当てはまらない
日本仏教の曖昧さを嫌う
→徹底した規範の確立を目指す
僧侶の身分を離れる(正しいと思った道理を実行する)
=行動によって伝統主義から脱する
儒教(中国の道:天人合一思想)と神道(日本の道:神人合一思想)の根本的一致を説く
人が敬(つつしみ)をもって道徳的に生きることの重要性を説く
天皇崇拝
君臣の関係を社会秩序の基軸として絶対化
日本史のファンダメンタリスト(小室直樹説)
古事記や日本書紀に書いてある神話をそのまま、実際起こったことであると信じた
※ほとんどの日本人はファンダメンタリズム・アレルギーであり、科学盲信者
神話の力が近代国家(国民国家)の基礎を形成する
→国民意識の統一をもたらす
→戦争に強くなる
尊王攘夷運動への影響
闇斎の思想は、水戸学・国学などとともに、幕末の尊王攘夷思想(特に尊王思想)に大きな影響を与えた。
門人
佐藤直方・浅見絅斎・三宅尚斎・植田艮背・遊佐木斎・谷秦山・正親町公通・出雲路信直・土御門泰福らがおり、闇齋学の系統を「崎門学派」という。
荻生徂徠
「学問は歴史に極まり候」(『徂徠先生答問書』)
「聖人」とは
堯・舜・禹・湯・文・武といった古代中国の建国の王(先王)という歴史的存在
「道」とは
普遍性の代名詞
「先王」がこの人間世界を万全に営むために作った、「礼楽刑政」といった具体的な文物
現在はこの文物はすでに滅び去り、その破片しか残されていない
※歴史主義的思考は徂徠の同時代に広く共有されていた
伊藤東涯(1670~1736)伊藤仁斎の息子
『古今学変』に代表される歴史主義的傾向
『読史余論』『古史通』
林家
水戸学
『大日本史』
古代中国語を研究して古代の文章を正しく理解しようとする学派
先王の道
人為的に作られた道(安天下の道)
孔孟の道
中国の儒家の古典『六経』(『易』『書』『詩』『礼』『春秋』『楽』)に記されている道
礼楽刑政
経世済民を目的とする社会制度
道徳と政治の連続性が断ち切られ、政治の固有の領域と論理が確立(丸山眞男)
「道」
過去の聖人によって「安民」「安甜歌」のために制作されたもの、規範
人間の主体性の宣言=近代的な思惟様式
勧善懲悪から文学を解放
道徳的鑑戒から歴史を解放
秩序=人間が特定の目的のために作ったもの
→作り変えることができる
「自然」から「作為」へ
「である」から「する」へ
「国家主義」の祖型としての後期水戸学への連続(尾藤正英)
「護国の鬼神」的言説論のレールの起点(子安宣邦)
「国体」の一起源としての陰謀的発想の源流(渡辺浩)
↑徂徠を主題とした研究が近年減少
聖徳太子
和の精神
仏教、儒教、法家の影響がみられる
「和」
※『論語』からの引用
【原文】有子曰、礼之用和為貴、先王之道斯為美、小大由之、有所不行、知和而和、不以礼節之、亦不可行也。
【書き下し文】有子曰く、 『礼の用は和を貴しと為す。先王の道も斯れを美と為す、小大これに由るも行なわれざる所あり。和を知りて和すれども礼を以てこれを節せざれば、亦行なわるべからず。』
【現代語訳】有子先生がおっしゃいました。 「礼」の働きとして「調和」があります。昔の王も調和をもって国を治めることに長けていました。しかし大事も小事も調和だけに則って行おうとすれば、なかなかうまくいかないものです。調和調和と言うのではなく、「礼」を用いて調和をはかるようにした方がいいでしょう。(その結果、調和はついてきます)
協調性を重視する日本人の気質の源流?
仏の前ではみな平等である
「仏の前では賢者も愚者もみな凡夫である」
→人はみな平等である
一、調和する事を貴い目標とし。道理に逆らわない事を主義としなさい。人には皆仲間が十、いきどおりを絶ちいかりを捨て。人が従わないことを怒らない。人には皆それぞれの心が有ります。心は各人思いとらわれるところが有ります。彼は我では無く。我は彼では無い。我も必ずしも物事の道理に通じた者では無い。彼も必ずしも愚か者では無い。共に凡夫なばかりです。これが道理で無くて、どんな定めが出来ようか。お互いに道理に通じた者でもあり愚か者でもある。まるで金輪に端が無いように。それで彼が人を怒る事が有っても。顧みて我がしくじりが無いか心配しなさい。我一人が適任と考えても。皆に合わせて同じ様に用いなさい。
日本思想史における「神話」
「神話」の機能
物事の起源や来歴を語り現実を根拠づける
個人の経験を超えた事象を説明する
世界や人間の社会、そして自己のアイデンティティを規定する
歴史に見た「神話」
古代の神話がそのまま享受されてきたのではない
現実の側の歴史に応じて、変化を遂げながら繰り返し多様に語り直されてきた
神話が現実を説明する〈真実の物語〉と見做される限り、個々のテキストを超えて変わらぬひとつのものであることが要求される
→不変の民族・国民という幻想
壬申の乱(672)以後、天武系王朝によって推し進められた律令国家形成の完成期
天皇中心として成り立つ世界がどのような来歴を経て現在の姿に至ったか、それを根源から語るテキスト
『古事記』
漢文としての格を逸脱し、和語を表現することを志向する
「古事」
世界の始まりから、書物として成立した「今」よりも一世紀ほど前の時点までの過去の総体を、「今」の時代の彼方にあって「今」を支える基盤
『日本書紀』
正格の漢文を志向する
『古事記』の世界像
『古事記』上中下三巻
上巻 神代の物語
地上における葦原中国と呼ばれる世界の成り立ちと天皇の祖先による支配権の確立
世界像
「天地初発之時、於高天原成神名…」:冒頭の一文
世界の始まりにおいて天はすでに高天原という名を持ち、その成立の経緯は語られないまま所与の世界として存在する
地
↓
高天原に成ったアメノミナカヌシ・タカミムスヒ以下の天神たちの導きによって地上に葦原中国が形成される
↓
高天原の主神であるアマテラスの子孫が葦原中国の支配者として降臨する
巧みに構成された諸エピソード
天神の七代の末に成ったイザナキ・イザナミの二神は、天神たちに地上世界の形成を命じられ、天から降り夫婦となって国土を生む
途中で火神を生んだイザナミが火傷で死ぬと、イザナキはこれを追って黄泉国へ往還し、穢れを落とすための禊からアマテラス・スサノヲらを生むが、スサノヲの乱行を畏れたアマテラスは天の岩屋に閉じこもり世界に闇をもたらす
ここではアマテラスの不在が高天原のみならず葦原中国をも暗黒の混乱状態に陥れたことが語られ、地上にまで及ぶアマテラスの力が強調される
アマテラスの孫ホノニニギが、アマテラスおよびタカミムスヒの命を受けて葦原中国の統治者として降臨する
=天皇の地上支配の正統性
葦原中国をとりまく地上の諸世界との関係:物語の横糸
黄泉国
死の穢れと畏れに彩られた
根之堅洲国(ねのかたすくに)、海神の国
オホアナムヂやホホデミといった葦原中国の王たるべき存在に力を与える典型的な物語的な異世界
常世国
↑葦原中国との関係性においてのみ語られ、その起源や成立が説明されるわけではない
=葦原中国の輪郭が決定される