小林秀雄
関東大震災後に知的空間へ登場
※和辻・津田・村岡などによって日本に「思想史」という学問が確立しようとしていた時期
近代西洋に端を発する科学文化の圧倒的な影響の中で日本における思想的営為のあり方を真剣に模索
丸山眞男の近代日本における思想史的方法の形成の分類
①福沢諭吉らの「文明論的思想史」
②竹越与三郎らの「同時代的思想史」
③井上哲次郎らの「国民道徳的思想史」
④和辻哲郎・村岡典嗣らの「文化史的思想史」と津田左右吉・柳田国男らの「生活史的思想史」
⑤「唯物史観的思想史」
小林は④の時代の知的雰囲気の中に青年期を送り、19世紀フランスの批判精神によって自意識の問題を突き詰め、同世代の⑤に切り込んでいった
「批評とは竟に己の夢を懐疑的に語ること」
ドストエフスキー、ベルクソン、ゴッホなど、当時の日本ではすでに時代遅れのものだった対象を論じる
流行目まぐるしい日本の西洋文化受容の中で、自ら青年期を送った大正時代の知的・文化的体験に生涯こだわる
「生活」の中に文化的意味を求める傾向
『ドストエフスキイの生活』(1939)
ラジオから流れる「歩くうた」(高村光太郎作詞)を聞き、「こんなヘンテコな歌が、生まれでてくる現代日本のヘンテコな文明の得体の知れぬ病気状態が僕にはもうかなわぬ」(『歩け、歩け』)と言い捨て、文壇を去る
→古美術の世界に没頭する
津田の書を熟読する
柳田の著作は小林が顧問をつとめた創元社から多く出版された
私生活
「生活」をこえる思想とか理想を信じなければ、「生活」に意味が生じない
=『ドストエフスキイの生活』のテーマ
正宗白鳥との「思想と実生活」論争
「生活」へのこだわり
日本における知識人のあり方に対する反省と結びつく
当時の知識界の「様々な意匠」を暴く
本居宣長に倣って現代の「からごころ」を批判
「生活」から遊離した抽象観念を嫌い続ける
日本の真の知識人のあり方とは
生活事実を素直に受け入れ、その経験のもたらす感動を意識化する
例:中国の市井に隠れた「陸沈」(『荘子』)
日本の横丁の隠居的知識人
翻訳文化、複製文化(日本の文化受容)の自覚
近代日本文化の特徴
福沢諭吉『文明論之概略』にヒントを得て、こんな経験は西洋人には決して経験できない貴重な経験として積極的に容認する
↓
近代西洋文化の流入によって伝統文化の壊れた現代日本において「伝統」はどのような現れかたをするのか
『無常とうふ事』
中世文化の「伝統」は「思い出す」という形で現れた
なぜ「伝統」は「思い出」し得るのか
※ベルクソン論は挫折
『本居宣長』
小林の諸テーマを集大成した一大思想劇