山崎闇斎
崎門学の創始者
闇斎の提唱した朱子学を、崎門学または闇斎学という。
湯武放伐を否定
『湯武革命論』
殷の湯王は夏の傑王を放ち、周の武王は殷の紂王を伐ったことは是か非か?
※中国の儒家も結論を出せなかった
明確に否定する
臣下が主君を殺すこと(乱臣)は、根本原理の蹂躙でありあってはならない
↑革命的大回転=日本学問の独立宣言
経典を批判することはタブー
「劉邦は秦の民であったし李淵は隋の臣であったのだからこれが天下を取ったのは反逆である。それは殷でも周でも他の王朝でも同じことで、創業の英主といわれていても皆道義に反しており、中国歴代の創業の君主で道義にかなっているのは後漢の光武帝ただ一人である」
実践を重視
崎門学の本質
行動によって伝統主義(Traditionalism)の迷妄を打破する
仏教批判
「仏教は人倫、すなわち君臣父子夫婦の関係を無視し、その間の道徳を否定している」
※海外の仏教には当てはまるが、日本仏教には当てはまらない
日本仏教の曖昧さを嫌う
→徹底した規範の確立を目指す
僧侶の身分を離れる(正しいと思った道理を実行する)
=行動によって伝統主義から脱する
儒教(中国の道:天人合一思想)と神道(日本の道:神人合一思想)の根本的一致を説く
人が敬(つつしみ)をもって道徳的に生きることの重要性を説く
天皇崇拝
君臣の関係を社会秩序の基軸として絶対化
日本史のファンダメンタリスト(小室直樹説)
古事記や日本書紀に書いてある神話をそのまま、実際起こったことであると信じた
※ほとんどの日本人はファンダメンタリズム・アレルギーであり、科学盲信者
神話の力が近代国家(国民国家)の基礎を形成する
→国民意識の統一をもたらす
→戦争に強くなる
尊王攘夷運動への影響
闇斎の思想は、水戸学・国学などとともに、幕末の尊王攘夷思想(特に尊王思想)に大きな影響を与えた。
門人
佐藤直方・浅見絅斎・三宅尚斎・植田艮背・遊佐木斎・谷秦山・正親町公通・出雲路信直・土御門泰福らがおり、闇齋学の系統を「崎門学派」という。