「台湾とウクライナ 挑戦する権威主義」(読売国際会議)
2023年1月16日「台湾とウクライナ 挑戦する権威主義(読売国際会議)」
第一部「今そこにある紛争の危機(台湾とウクライナ)」
パネリスト
ロシア・ウクライナ戦争の教訓
- 抑止が失敗した
なぜロシアの侵略を抑止できなかったか
- 軍事力を行使することの成功体験があった(何度も)
- ロシアが侵略に伴う損失を過小評価した
- 米国や西側諸国が侵略コストを明示できなかった
ウクライナ戦争の今後は?
- ウクライナ側の認識
- ロシア側
- 時間は我々の味方をしている
- 支援国の足並みの乱れを期待
- さらなる動員も可能
習近平の使命
日本の防衛政策について
防衛費の増加、日米協力の強化は重要だが、より本質的な論点は
- 作戦上の影響がある必要がある 平時と戦時の連続性
- 戦時に役立つ装備や訓練が必要
- 中国のA2ADの中では空母は抑止力にならない
- 日米が直接台湾に関わる覚悟を示すことが必要
- 戦時計画が必要(立案に半年以上かかる)
- 戦時に役立つ装備や訓練が必要
- 中国に日米の防衛力強化を中国が認識できる必要がある
- こっそりやっても意味がない、戦争が始まってからでは遅い
- 戦争が始まる前に抑止を行わう必要がある
- 「もし戦争が始まったら支援する」では遅すぎ
- 日米の劣勢をどのように覆し、中国の現状変更を許さないような拒否能力を構築する
- 共有された利益に基づく同盟関係
中国のA2ADに対応できるのか
- アメリカの対応は遅すぎる
- 10年以上も議論しているのに実際の行動が遅すぎる
- 緊急性、切迫感を持っていない
- 強靭化=冗長力を強化し、A2AD圏内での作戦行動できるようにする
- 基地の強靭化も不十分
- 嘉手納基地が使用不能になれば台湾に対する作戦行動は不可能になる=中国の勝利
- 日米台の協力が絶対条件
- 日米の参戦こそ抑止力
- 必要なこと
- 真実に基づく説得、十分な弾薬、迅速な作戦行動の開始準備
ウクライナ戦争から得られる教訓
- コミットメントの重要性
- 自らの手を縛る 事前に伝える
- ウクライナと比較すると戦争の準備は不十分
- ウクライナ人ほど戦う覚悟・決意があるか
- 指導者は個人のイデオロギーに基づいて行動してしまう
- 指導者以外の人に合理的な計算を促す
- 中国軍はロシア軍より強い
- 経済面は異なる
抑止とは
日台関係
- 軍事作戦上の影響がないことはやるべきでなはい
- 中国を怒らせるだけでは意味がない
- 台湾の人々の戦う意欲を高める、日米の台湾へのコミットメントが高まることには意味がある
軍拡競争の行方
- 日米に勝機があるのか、政治体制の違い、中国は合理的な政策判断を行なっている、ソ連(ブレジネフ)の失敗を回避した
経済制裁の効果
- 権威主義体制でも多様な利害が存在する、経済エリートは戦争を望まない、中国はロシアと比べて世界経済との結びつきが強い
日本の近代思想
1 伝統思想と西洋思想の葛藤
近世と近代の連続性
→近代的な政治意識の発生
「もののあわれ」という心情的な動きを肯定的に取り上げる
→封建道徳から人間性を解放
安藤昌益
封建制度を全面的に否定
本多利明
藩と藩の交易を提唱する
近世と近代の不連続性
MODERN
「近世」「近代」「現代」の三つの訳がある
ルネサンス以降の西欧の歴史の展開を表す言葉
近世(江戸)と近代(明治)の間の断絶
医学
o 古医方
伝統的な李朱医学(後世方)の思弁性を批判して成立
「親試実験」をモットーとして経験を重視
人体解剖も実施
麻酔の実験に成功
o 明治の医学
西洋医学を受容
ジェンナー、コッホ、パスツールなど
西欧思想の受容のために近世の思想が成熟させたわけではない
両者の異質性
近世後半における西欧の影響
古医方による人体解剖に刺激を受けて、『解体新書』を生み、蘭学の成立を促す
明治思想の二重構造
西欧思想と伝統思想の二重構造
西周、加藤弘之、西村茂樹、中村正直などの明治初期の啓蒙思想家
思想形成期において儒教を中心とした近世的教養を身につけ、多くは維新後、明治政府の官僚として近代国家を構築するために必要な政治や法律や教育にかんする西洋の知識を翻訳紹介
新知識の体得者であると同時に、その内奥に儒教の素養を血肉化した人々
ルソーの『社会契約論』を翻訳紹介し、自由民権運動に多大な影響を与えた
『民約和訳』
荘重な漢文で草される
英文学と漢詩
西洋思想+伝統思想
思想の内容の進歩性と反動性といった評価基準は無意味
どのように進歩的な思想でも、主体の内奥に息づく伝統との対決を経ていなければ、優れたものとして評価することはできない
どのように反動的な思想でも、西洋との鋭い対決において主体的に選び取られたものであるならば、高く評価すべき
明治期におけるキリスト教の役割
キリスト教と伝統思想の鋭い対立に向き合う
2 共同体的倫理の解体
社会構成と産業構造の変化
新しい経済システム、法制度、文化、思想などを受け入れると同時に近世から受け継がれた様々な伝統を解体
農村共同体の解体
徳川幕藩体制
年貢を確実に収納するために、田畑の売買を禁止して小農(自作農)を保護するとともに、支配の末端に位置する名主(庄屋・肝煎)を中核として共同体の相互扶助と連帯責任を維持しようとした
名主は確実に租税を収めるために、灌漑設備の開発、農機具の改善、商品作物の奨励、文化の向上などに取り組む
明治の新政府
近代的な財政を確立するために、地券を発行して土地の売買を解禁した(地租改正)
→農村はしばらく名望家(旧名主などの豪族)のもとに共同体的な秩序を維持
↑自由民権運動を支えた階層
次第に二極化
- 大土地を所有する大地主
→製糸業などの産業を興し資本家となり、土地を離れ都市に移住する(寄生地主)
- 土地を失った小作人(水呑百姓)
→大都市の工業労働者としてプロレタリア化
新たな道徳を創出する試み
日本弘道会を興し、儒教に西洋哲学を加味した新しい共同体的な倫理を構想し、普及につとめる
その影響はわずかだった
家族国家論を中核とする国民道徳を提示
あくまで疑似的なものにとどまる
孤独な人々
都市労働者
共同体的な秩序において純然とした個人としては現象しない
関係性
※西欧的な個人
絶対神と個人の直接対面
自律
『月に吠える』萩原朔太郎
「地面の底の病気の顔」
世界水準との接続
近代日本の超国家主義
「超国家主義」
大正から昭和にかけての右翼思想のキーワード
超国家主義の主要人物が網羅、多種多様な思想
天皇制国家=決断も責任もない国家
「超-国家主義」への疑問
丸山の理解の前提
「明治以後の近代国家の形成過程に於いて」「国家主義の技術的、中立的性格を表明しようとしなかった」こと
→超国家主義は日本近代を一貫するもの
橋川文三の疑問
丸山の分析は大正昭和の超国家主義を、明治以来の「日本の国家主義一般から区別する視点ではな」く、「日本ナショナリズム運動の変化を解明するにはあまりにも包括的」であり、「とくに日本の超国家主義をその時代との関連で特徴づけるものではない」
→もう一つの超国家主義理解
橋川文三の「超国家-主義」
「人間が国家を超えるという思想的欲求を抱くのは、現存の国家に期待しなくなった場合である」=橋川文三の超国家主義理解
太平洋戦争期に実在したのは、まさに超国家主義そのもの
明治末期から昭和初期にかけての「社会矛盾」の深化←橋川が注目
社会矛盾=国民精神の弛緩、生活様式の激変、都市化、工業化、階級差の拡大、伝統的倫理の崩壊、人間の孤独化
→日本人の共同性を支えた伝統が崩壊し、アノミー(規範喪失)の時代へ
超国家主義=特殊な時代相が生み出した変革への欲求
→右翼、マルクス主義(左翼)が登場
・右翼=「種」的なイメージに依拠(美しい民族、新しく強固な共同体、日本、アジア)
・左翼=「類」的なイメージに依拠(全世界の人民、全世界のプロレタリアート)
『近代日本の右翼思想』片山杜秀 保守と右翼
保守と右翼の違い
保守=現在を尊重しながら、過去から汲めるものを汲み、未来のイメージから貰えるものを貰って、急進的に暴力的にならずに漸進的に改革を進める
右翼=失われた過去に立脚して現在に異議申し立てをする
日本近代右翼思想の思想的混乱
「天皇」の存在と結びつく右翼
「好ましからざる現在」の代表である天皇が「好ましい過去」の代表者でもある
→右翼思想の混乱
天皇から離れ、過去と現在をばっさり区別する右翼
=理論的にあり得るが登場しなかった
天皇から切り離された過去のイメージを探すことはかなり難しい
過去への憧憬抱きながらも、過去の代表者でありつつ現代の代表者でもある天皇に導かれ、ねじれて現在にのめり込み、現在を礼賛して終わるという性向を持つ右翼思想
保守主義と現在至上主義
過去への反動を求める右翼が現在を礼賛する
→保守中道に合流?
そうとは言えない
①現在への嫌悪
②過去(天皇)への憧れ
③天皇が存在する現在を悪くないと考える
④むしろ天皇が現前していることの素晴らしさを感じる
⑤現在を絶対化し、漸進的な改革すら否定=現在至上主義
保守主義とは異なる思想へ
職分論とイエ思想
町人の思想・農民の思想へのアプローチ
社会の成熟(近世の歴史的特質)
→町人・農民の思想(庶民思想)の形成
庶民思想とは
①思想家の出自が庶民である
②思想内容が庶民の思想的自覚を直接反映し、生業に従事する庶民の社会的存在を積極的に肯定すること
(生業に従事しない武士批判を含む)
③思想の表現形態は庶民に理解される通俗性を持っており、当時の文化状況を反映して神・儒・仏の融合的形態をとる
(儒教的用語が中心)
職分論の登場
泰平の時代の到来
↓
武士階級の社会的意義の再定義
社会体制を支える庶民の社会的意義を定義
↓
職分論の登場 寛永年間(1624~44)ごろ
武士を統治階級として特権化
庶民を社会体制の円滑な存続に不可欠な存在として位置付ける