丸山眞男
『日本政治思想史研究』(1952)
徳川時代の思想史の展開について
近世日本思想における「自然」と「作為」→制度観の対立
国民主義の「前期的」形成
朱子学=合理主義、「自然」としての秩序
↓
道徳と政治の連続性が断ち切られ、政治の固有の領域と論理が確立
「道」
過去の聖人によって「安民」「安甜歌」のために制作されたもの、規範
人間の主体性の宣言=近代的な思惟様式
勧善懲悪から文学を解放
道徳的鑑戒から歴史を解放
秩序=人間が特定の目的のために作ったもの
→作り変えることができる
日本における封建社会から近代社会への移行
歪んだ形で進行
体制擁護の思想から新しい意識が成長
朱子学から、伊藤仁斎・荻生徂徠による儒教思想の刷新を経て、それが本居宣長の国学という一種の鬼子をうみだすに至る、思想史の展開を独自の角度から整理する
「近代的なもの」が含まれていた
個人のありのままの心情の解放
人間の力による秩序の「作為」
「超国家主義の論理と心理」
近代の民主主義の精神の確立
内面の自律を達成した個人が主体として政治にかかわる
「戦後民主主義」の旗頭として活動
一方で、ジャーナリズムや後進の学者が口にする「丸山イメージ」に、違和感を表明し続ける
丸山の思想史家としての仕事の豊かさが見失われている
『日本の思想』
第一章「日本の思想」と講演を活字化した第三章・第四章ばかりが引用される
「日本の思想」
日本には「座標軸に当る思想的伝統」がない
第二章 「近代日本の思想と文学」
プロレタリア文学の批評言説や、小林秀雄の議論を広くとりあげながら、昭和初期の思想について分析
第三章
ヨーロッパと日本の文化を「サラサ型」と「タコツボ型」と分類
「幕末における視座の変革 佐久間象山の場合」
「追体験」の方法
過去の思想について、想像上、その当時の歴史状況に自分を置きながら、その思想家が進んだ道を理解しようとする
→テクストから新たな意味をうみだそうとする
『現代政治の思想と行動』
「超国家主義の論理と心理」
日本のナショナリズムは欧米と比較して「質的」に「相違」している
何が「質的相違」をもたらしているか?
→天皇制の存在
- 「国家主義が精神的権威と政治的権力を一元的に占有」し、「大儀と国家活動」とが「つねに同時存在」する天皇制国家像
- 「全国家秩序が絶対的価値体たる天皇を中心として、連鎖的に構成され」、為政者の位置は、ただ「天皇からの距離」によってのみ測定される
- 自立した近代的個人としての決断も独裁も為すこと能わず、「自由な主体性」とは無縁に、天皇からの「無限価値流出」に身を任せ続けるばかり
天皇だけは決断や独裁が可能か?
天皇個人の権威は、「万古不易の国体」という不分明な「無限の古」に担保される
→天皇は独裁者でも近代的主体でもない
天皇も為政者も「無限価値流出」に身を任せる無責任国家
ナショナリスティックで無規定性な抑圧と侵略の衝動だけは持っている
要するに天皇制国家=決断も責任もない国家
『忠誠と反逆』
『「文明論之概略」を読む』
『丸山眞男講義録』
小林秀雄
関東大震災後に知的空間へ登場
※和辻・津田・村岡などによって日本に「思想史」という学問が確立しようとしていた時期
近代西洋に端を発する科学文化の圧倒的な影響の中で日本における思想的営為のあり方を真剣に模索
丸山眞男の近代日本における思想史的方法の形成の分類
①福沢諭吉らの「文明論的思想史」
②竹越与三郎らの「同時代的思想史」
③井上哲次郎らの「国民道徳的思想史」
④和辻哲郎・村岡典嗣らの「文化史的思想史」と津田左右吉・柳田国男らの「生活史的思想史」
⑤「唯物史観的思想史」
小林は④の時代の知的雰囲気の中に青年期を送り、19世紀フランスの批判精神によって自意識の問題を突き詰め、同世代の⑤に切り込んでいった
「批評とは竟に己の夢を懐疑的に語ること」
ドストエフスキー、ベルクソン、ゴッホなど、当時の日本ではすでに時代遅れのものだった対象を論じる
流行目まぐるしい日本の西洋文化受容の中で、自ら青年期を送った大正時代の知的・文化的体験に生涯こだわる
「生活」の中に文化的意味を求める傾向
『ドストエフスキイの生活』(1939)
ラジオから流れる「歩くうた」(高村光太郎作詞)を聞き、「こんなヘンテコな歌が、生まれでてくる現代日本のヘンテコな文明の得体の知れぬ病気状態が僕にはもうかなわぬ」(『歩け、歩け』)と言い捨て、文壇を去る
→古美術の世界に没頭する
津田の書を熟読する
柳田の著作は小林が顧問をつとめた創元社から多く出版された
私生活
「生活」をこえる思想とか理想を信じなければ、「生活」に意味が生じない
=『ドストエフスキイの生活』のテーマ
正宗白鳥との「思想と実生活」論争
「生活」へのこだわり
日本における知識人のあり方に対する反省と結びつく
当時の知識界の「様々な意匠」を暴く
本居宣長に倣って現代の「からごころ」を批判
「生活」から遊離した抽象観念を嫌い続ける
日本の真の知識人のあり方とは
生活事実を素直に受け入れ、その経験のもたらす感動を意識化する
例:中国の市井に隠れた「陸沈」(『荘子』)
日本の横丁の隠居的知識人
翻訳文化、複製文化(日本の文化受容)の自覚
近代日本文化の特徴
福沢諭吉『文明論之概略』にヒントを得て、こんな経験は西洋人には決して経験できない貴重な経験として積極的に容認する
↓
近代西洋文化の流入によって伝統文化の壊れた現代日本において「伝統」はどのような現れかたをするのか
『無常とうふ事』
中世文化の「伝統」は「思い出す」という形で現れた
なぜ「伝統」は「思い出」し得るのか
※ベルクソン論は挫折
『本居宣長』
小林の諸テーマを集大成した一大思想劇
津田左右吉
記紀批判
厳密な文献批判的研究
戦後の日本古代史学の画期的な「共有財産」となる
津田自身の尊皇心がその貫徹を促進した面と促進した面がある
中国古典研究
津田のナショナリズムによる歪み
『文学に現はれたる我が国民思想の研究』
「我が国文学の上に現はれている国民思想の種々相と其の変遷及び発達の径路との研究」を企図してそれによって「僕の思想を世間に向つて提出することのなる」
「平民文学の時代」としての近世
文学:実生活の中で育まれた思想
儒学:書物から得た知識であり、実生活から形成されたものではない
武士道:戦闘者としての武士の本質と平時で生きる現実との乖離からくる「変態道徳」
国学:自己の内生活に関わらない空疎な国自慢の変形
尊皇思想・忠孝の道徳にも批判的
津田の理想
国民を一つの有機体として結合させる公共的なモラルの発展を目指す